Suicaはなぜ“速い”のか――改札に置かれた「判断」の場所

Suicaで改札を通ることは、いまでは当たり前の光景になった。そこに最近、新たな選択肢が増えている。

一部の駅で導入が進む、クレジットカードのタッチ決済だ。インバウンドや短期滞在の観光客にとって、専用カードを作らず手持ちのカードでそのまま通れるのは、確かに理にかなっている。

それでも、実際に使ってみると、どこか引っかかる。不便というほどではないが、Suicaに慣れた身体が、わずかな「間」を敏感に拾ってしまう。この違和感は、使い勝手の良し悪しというより、仕組みの前提に近いもののように感じる。

クレジットカード決済は、海外では主流だ。それでも日本の駅で使うと、少しだけ物足りない。それはおそらく、日本の交通が「通過」という行為に対して、特別な最適化を重ねてきた結果なのだと思う。

この「違和感」の正体は、
いったい何なのか

これを単に、クレジットカードの「処理が遅い」と片付けるのは、少し違う気がする。実際、体感として待たされている時間は、ごくわずかだ。それでも私たちは、この誤差のような「間」に、改札の前でほんの一瞬だけ、足を緩めてしまう。

この違和感の正体は、速度そのものではない。通過の瞬間に、「外部への確認」が発生している気配なのだと思う。つまり、「処理の速さ」ではなく、「処理がどこで行われているか」の違いだ。

クレジットカードは、その場で「使っていいか」を改札の外に問いかける。通過の瞬間に、「外への問い合わせ」が発生するような設計だ。

一方、Suicaでは、その判断が、完全に改札機とカードの間に閉じている。残高や入出場の情報を、その場で即座に処理するので、確認は行われているが、それは「外に出ない」。

そもそもこの2つは、「改札を通すか?」という問いを、どこで処理するかが違う。この仕組みの違いによるタイムラグが、ほんの一瞬の違和感として、身体に残る。引っかかりとは、コンマ数秒の時間差ではなく、「判断の場所」の違いを肌で感じ取った結果なのだと思う。

なぜSuicaは、
異なる前提を選んだのか

この違いは、どちらが優れているかという話ではない。日本の交通が、世界的に見ても極端な環境にさらされてきた、という「条件」の違いだ。

朝のラッシュ時、新宿や東京の改札では、秒単位で膨大な人が流れ込む。この流れを止めないためには、「とりあえず通して、あとで考える」という設計は許されなかった。

通すか、止めるか。それはタッチした瞬間に確定していなければならない。

そのためSuicaは、残高や乗車情報をカードの中に持たせ、改札とカードだけで、判断を完結させる道を選んだ。専門的には「ストアードバリュー型」と呼ばれるが、要するに「改札の外に聞きに行かない」仕組みだ。

一方、クレジットカード決済は、「とりあえず通して、後で確定させる」運用が得意だ。ラッシュが分散し、運賃計算も単純な環境であれば、その柔軟さが、大きな利点になる。

日本のSuicaは、「世界一過酷なラッシュアワー」を止めないために、極端なローカル処理を選んだシステムだった。

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改札で感じた、あのわずかな引っかかり。それは、クレジットカードが遅いからでも、Suicaが特別だからでもない。通過の瞬間に、どこで判断が行われているか。その前提の違いが、身体にはっきりと伝わっていたのだと思う。

日本の交通は、極限の過密さの中で、「止めないこと」を最優先に設計されてきた。その結果として、Suicaは、判断をローカルに閉じた、きわめて尖ったシステムになった。

私たちがSuicaを使い続ける理由。

それは単なる慣れではない。この国の環境に特化して磨き上げられた「完成度」を、私たちの身体がすでに知っているからなのだ。